ネマリンミオパチー

参考リンク:先天性ミオパチー(congenital myopathies)筋疾患百科事典

ミオパチーの解説マンガ更新しました。
miopathycomic_001まんがで解説「先天性ミオパチー」1 種類と症状

myopathy_manga_005まんがで解説「先天性ミオパチー」2運動と生活a>

myopathy_manga_009まんがで解説「先天性ミオパチー」3医療とリハビリ

ニュース!:横浜市大、乳幼児の疾患「ネマリンミオパチー」の責任遺伝子を発見(マイナビニュース)

必見!→講演 Ustream動画:「国立精神・神経医療研究センター病院名誉院長 埜中先生(先天性ミオパチーとは?)」
「国立病院機構八雲病院小児科医長 石川先生(人工呼吸器について)

www.ustream.tv/channel/big110

ニュース!:【医学ニュース】サプリメント「L-チロシン」が筋肉消耗性疾患の治療に望みをつなぐ(豪研究)(VIVA!Wマガジン)
オーストラリアの大学の研究で、L-チロシンというサプリメントの投与がネマリンミオパチーの症状を改善するかもしれないという研究結果が出てるらしいです。
チロシンはアミノ酸の一種で、食品ではたけのこやチーズ、大豆、卵の黄身、たらこ、落花生などに多く含まれてるそうです。
サプリメントとしても簡単に安価に入手でき、ボディビルダーのサプリメントやADHD症状を持つ成人の集中力を高めたり、うつ症状が改善されるケースがあるという事で知られているようです。(適切に摂取するとドーパミンを増加させる?)
こんなに簡単に入手できるアミノ酸がネマリンミオパチーを改善させてくれる可能性があるというのは、続報に期待ですね。
チロシン(Wikipedia)


ネマリンミオパチー(nemaline myopathy)

私は先天性ミオパチーの中のネマリンミオパチーという病気(体質?障害?)だそうです。

先天性ミオパチーとは、子供のころから人より筋力が弱く、徐々に進行していく筋肉の難病らしい。
(人によって症状が違います)

それがわかったのはつい最近。
子供の頃から極端に運動能力が低く、何らかの障害があるとは思っていた。
でもずっとわからなかった。

 

経過

経過はこんな感じです~~~~~~~~~~~

 幼児期から他の子供より走るのが極端に遅い
階段などちょっと高い段差を登るのが大変。膝に手を当てて補助したり手すりに掴まったりすれば登れる。
走る格好が変だと言われる。
平地ならかなりの長距離を歩くのも平気。

 中学・高校くらいからは疲れて動くのが辛くなる日が定期的にある。
しゃがんだ状態から足の力だけで立つのが難しい、下に手をつかないと立てないということに気づく。和式トイレなどでは床に手を付けないので足の甲などに手を添えて立っていた。

 20代の後半くらいから、階段を登る事、立ち上がる事がさらに辛くなる。
歩いている所を見た人から、足が悪いの?と訊かれるようになる。

 30代前半くらいから長距離を歩くのが辛くなり、疲れやすくなる。道を歩いていて急に転ぶことが多くなり、転ぶと立ちあがるのに苦労するようになる。
定期的に疲れやすい日があり、筋力が弱くなったこともあって、疲れると動けなくなってしまう。また、疲れているのに無理をすると、疲れが徹底的にたまり、一週間くらい疲れがとれずに動けなくなったりする。
10センチくらいのちょっとした段差でも、どこかに手をかけないと登れなくなってくる。

 30代後半くらいからは、平らなところなら何とか杖をついて歩けるが、疲れ始めると数メートルごとに休まないといけなくなる。
転ぶと自力では全く立てなくなる。転んだ時は力の強い男の人に後ろから羽交い締めのように立たせてもらう。

 40歳くらいから外出が困難になり、徐々に自力で歩行ができなくなった
 (2006年 室内で転倒し骨折

 50歳くらいから歩行だけでなく、立つこと自体が難しくなる
 (2011年 食事の誤嚥による誤嚥性肺炎で入院)

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この病気の人は 乳児期から歩行が遅れたりするケースが多いらしいけど、私の場合、乳児期の発達の遅れや歩行開始の遅れは特に目立たず、元気な子供だったらしい。大きな病気やケガもしたことがない。
が、物心ついたときから、腹筋で頭を持ち上げることが出来ず、跳び箱も跳べず、ほとんど走れなかった。
ほんの10m走るんでも人の倍くらい遅い。
中学の時50Mのタイムが、早い子は7秒台から遅い子でも9秒台くらいだったかな。私は20秒くらいだったのを覚えてる。
50M走も私にとってはちょっとしたマラソンだった。
階段を登るのも手すりに掴まらないと登れない。
私にとって階段を登ることはちょっとした登山のようなものだった。

2004年に肺炎で亡くなった兄も同じ病気だった。兄も大病こそ患った事はないが、私が丈夫なタイプだったのに対して、兄は子供の頃からわりにひ弱な感じの人だった。

この病気の人は子供の頃からグレーゾーンにいる感じだと言われる。
人に理解してもらうのが難しく、子供の頃からある意味孤独な思いをする人が多いらしい。
大人になってからでも理解されないことが多い。

最近同病の方々のブログやホームページを拝見して、初めて、自分と同じような生い立ちの人達がこんなにいるのだという事を知った。
さすがに最近の若い方々は、子供の頃に詳しい検査を受けミオパチと診断された方も多いようだけど、昭和30年代生まれの私の場合は、30過ぎてかなり歩行が困難になるまで、病気や障害とは診断されず、単に「極端に運動神経の鈍い人」でしか無かった。
病院で診てもらってもせいぜい「頑張ろう!と、やる気を出してみたら?」などと精神論のようなアドバイスをされることが多かった。
後述するが、「ころぶと立てない」と言ったら、医師に精神疾患を疑われた事さえあった。

診断

子供の頃から、たびたび病院などで相談したり、診てもらっても特に悪いところはないと言われてきた。
(同じ病気の兄も、私よりひ弱なタイプだったけど、子供の頃から一応診てもらっても、「このお子さんは健康ですよ」と笑い飛ばされていた)

30歳くらいになって、ちょっと長い距離を歩くのが辛くなり始め、転ぶことが多くなり、立つのに苦労しはじめたので、五反田の大きな病院(当時はT病院=現在のN病院)に飛び込みで行ってみた。
「子供の頃から体力がない」「運動能力が極端に弱い」「最近、さらに運動能力が落ち、疲れやすい」「転びやすい」などの症状で検査をして欲しいというと、内科を受診するように勧められた。
内科で一通り検査をし、1週間後に結果を訊きに行くと、やはり「どこも悪いところはないので頑張ってみたらどうですか」と言われた。
病院を出て、池田山公園横の急坂を息を切らして登り、公園のあずまやで休んだ。
下の方の池の周りで悪ガキ共が爆竹を鳴らして騒いでるのをぼーっと眺めながら考えた。
予想はしていたけど、がっかりした気持ちと、それでもまだどこかホッとした気持ちもあった。
誰よりも自分自身が自分の体は普通の人と違う病気や障害があるとわかっているのに、はっきりと原因を知りたい気持ちと、その一方で、どんなに動けなくなってもどこかで、はっきりと病気や障害だと診断されたくない気持ちもなぜかあったのだろう。

複雑な気分で目黒駅まで歩いて帰った。

それから数年経って、さらに転びやすくなった。
普通の所を普通に歩いていても突然ひざががくっとなり、転んでしまう。
転ぶとその場で自力で立ち上がることも難しくなった。
最初のうちは、生まれたての子馬のように、四つんばいになったところから手と足を引きつけ合い、前屈の姿勢から膝に手を当てて上半身を起こせたのだが、そのうち四つんばいの姿勢から足首を突っ張って膝を上げることが困難になり、少し段差のあるところまで這って行って、膝を少し段差に上げて足を突っ張って立つか、
あるいは階段のような所があれば、そこに座って一段ずつお尻を上げていって高い椅子から立ち上がる要領で立つしかなくなった。
膝を曲げずに歩くため、膝に負担がかかり、特に体重をかける右膝は内側に少し曲がってきたような気もした。
また、歩いていると急に、右膝にロックがかかったような、関節がポキッと鳴りそうで鳴らない時のようなイヤな痛みで、その場で一歩も歩けなくなってしまうようになった。
指の関節をボキボキ鳴らすように、膝を無理矢理横にボキッと動かすと痛みはやわらいでまた歩けるのだが、ますます歩行することが不安になってきた。

思い切ってまた、大きな病院に検査に行ってみようと決心した。
今度は旗の台にあるS大学病院という所に行ってみた。
過去の自分、今の自分の状態を説明するのはすごく気の重い作業だ。
受付で、相変わらず、「子供の頃から体力がない」「運動能力が極端に弱い」「最近、さらに運動能力が落ち、疲れやすい」「右膝が変形してきたような気もするし、時々痛むようになった」、等々の症状を話すと、受付の方は困惑して、「とりあえず、膝の症状ということで、整形外科に行って下さい」と言われた。
整形外科の前で少し待つ。
受診に呼ばれる。
室内に入って先生の前に座る。
たぶん、たまたまその動作はそれほど不自由には見えなかったのだろう。
「どうしました?」と訊かれた。
何というか、正義感の強そうな感じの若い男の先生だった。

私はボソボソと、子供の頃から体力がなく運動能力が極端に弱かった事、最近、さらに疲れやすい、右の膝が変形してきたような気がするし、時々痛むようになったと説明する。
聴きながら先生はなぜか段々イライラと貧乏揺すりをするようになっている。

運動能力もさらに落ちて、よく転ぶようになり、最近は転ぶと立てなくなった・・・
と話したところで、先生が突然
「でも、立つんでしょ?」と言った。
意味がわからず「えっ?」と聞き返すと
「『立てない』って言うけど、結局立つんでしょ?!」とかなり強い調子で訊かれた。
私は様子が飲み込めず、「え?・・・ええ、段差のある所とかまで這っていってそこに膝をのせたり・・・」
すると突然「大げさに言わないで下さい!」と、ほとんど怒鳴るような調子で言われた。
「大げさにも、軽くも言わないで下さい!ちゃんと診察が出来なくなります!」
何がなんだかわからなかった。
あ、もしかしたら、先生は私の話を疑ってるのか。
清水の舞台から飛び降りるような気持ちでここに来て、話し辛いことを正直に話しているのに、この先生は信じてくれていないのだろうかと思うとかなりショックだった。
心臓がバクバクした。
それから何を訊かれたかよく覚えていない。
「買い物なんかはどうしてるの?」
買い物はしないので・・・
「買い物しなきゃ生活できないでしょ!ま、家族に買い物してもらえば生活できるか・・・」
「中学時代は卓球部だった?そんなに体力なかったら卓球なんかできないでしょ!」
と、なぜか話すことすべてに疑問を持たれる。

動揺したまま検査をすることになった。
先生に手首を捕まれた腕を、力こぶを作るように手前に引きつけて曲げる。力は弱いが多少抵抗はかかる。
そして、今度は逆に、曲げた肘から先を外側に伸ばす。
私はこの力がほとんどなかったようだ。手首を持って抵抗をかけていた先生にはほとんど力が伝わらなかったらしい。
「ほら、伸ばして!」
一生懸命やっているつもりだが、先生には伝わらない。
「やってるんです」と言いたかったが、動揺して言葉が出なくなっていた。
「ほら、ちゃんとやらないと筋電図取ることになるよ!痛いんだなぁー、あれがまた(笑)」
からかうように笑いながら言う先生に悪意はない。ちゃんとやって欲しいと思っているだけだ。
顔を見れば善良な方だと言うのはわかる。
ただ、子供の頃から周りの人に信頼されやすく、自分が信用されないという経験が無かった私は、子供をからかうようなその言葉を聞いた瞬間に感情が崩れてしまった。
目頭が熱くなった。
辛い状態を話したのに信用されず、一生懸命腕を伸ばしているのに力を感じてもらえず、自分より若そうなこの先生に、ちゃんとやらないと痛い筋電図の検査をやるぞと子供を脅すようにからかわれている・・・
情けないことに、急に涙がポロポロこぼれて止まらなくなった。
先生は眉をひそめ、手を止めた。
少し考えたあとで、机に向かって何かを書いて、「これを持って『神経科』へ行って下さい」と言われた。
封筒に入った紹介状だった。

大きな道路を隔てた向こうにある『精神神経科』は、主に精神に病を持った人を診察する科だと思う。

要するに、私はありもしない病状を騙り、検査で力を出す事を拒み、ちゃんとするように諭されると泣き出してしまった、心の病からくる詐病癖、あるいは本当にそう思い込んでいる人間、と思われたようだ。

いや、案外自分で自分の事はわからないものだ。
正直、自分の精神は正常なのかどうかも自信がなくなっていた。
今まで30数年の人生で運動能力が低いと思ってたのは思いこみが原因の可能性だってゼロじゃない。
精神的なものだったら、むしろ治る可能性があるかもしれない。

広い道路を渡って精神神経科の受付へ。
結局その日は受診に間に合わず、診察は週明けになった。
週が明けてまた朝から精神神経科の受付。

長い時間待って、助手の方らしき先生との面談。
「自殺を考えた事はあるか」など抽象的な質問にいくつか答えた後、
「整形外科の先生は、あなたが自分は動けないと思い込んでいるのではないかと思われたようですが、あなた自身はどう思いますか?」と率直に訊かれた。
「精神的なものとは考えにくいような幼児期から、人並みはずれて運動能力が低く、それが徐々に悪化してるので、たぶん、思いこみや精神的なものではないと思うのですが、万一原因が物理的なものではなく、精神的なものだったら、逆に解決の可能性があると思うので、むしろそうであって欲しい気もします」
とまどいながらも思ったことをそのまま話した。
長い長い時間、ドキドキしながら診察を待って、やっと自分の番になった。
精神科の先生にも、簡単に同じような説明をした。
転ぶと立てないと言うことで「床に座ってみて」と言われた。
支えなしに座ることも難しく、くずおれるようにしゃがんだ。
立つには先生と助手の方、男性2人がかりで両脇から腕を抱えて力任せに引っ張りあげて頂いて、やっと立てるくらいだった。
「これは転んだら危ないな・・・身近に同じような人はいますか?」と訊かれたので、「兄が子供の頃から同じ状態です」と話すとすぐに
「あなたの症状は精神的な物じゃない。神経や筋肉の病気を扱う神経内科という科があるから、そちらに行きなさい」と言われた。
週をまたいであちこち回って、ほんの数分程度の診療で結論とは、なんだか拍子抜けの気分だった。
そうか、兄も同じ状態だと早く言えば良かったのだ。

神経内科でいろいろ診ていただいて、M病院を紹介していただいた。
(今もM病院の神経内科で定期的に診ていただいている)

筋電図はそれほど痛くなかった。(昔はもっと痛かったらしい)
CTスキャン?(MRIだったか?どっちか)で断層撮影みたいなのを見せてもらうと、腕などには多少筋肉が残っていたが、
腿のあたりはほとんどゼロといえるくらい筋肉がなくなってるのがわかった。
(そういえば、その後、家で体脂肪率を簡単に測れる機械を買ったことがあるけど、私はいくら正確なデータを入力して、手をまっすぐ前に伸ばして測定してみても、ちゃんと持っていないというエラーが出た。筋肉を伝わる電流が途中でとぎれてしまうのか、筋肉量が少なすぎてちゃんと持っていると判断されないのだろう)

症状としての筋萎縮と診断されたけど、詳しい病名は「筋生検」を受けなければわからないとのこと。

筋生検自体は別に治療ではない。
診断のために筋肉の一部を採って、組織を調べる検査だ。
治療でもない手術のような検査を受けるという事に躊躇していたら、そうこうしているうちに兄が筋疾患の診療で有名な都下のK病院(旧M病院?)に通院し、筋生検を受けてくれた。
兄はネマリンミオパチという病名と診断された。
今は同じ病状である私も同じ病気と判断されている。

その後、自力歩行が出来なくなったのを機に、障害者手帳の交付を受けた。

障害の自覚

子供の頃から、あまり特別な扱いは受けず、普通に過ごしてきた。
できないながらも体育の授業も普通に受けてきたし、中学時代はなぜか運動部の部長もやった。
高校ではさすがにきつくなってマネージャーをやったが、毎日球拾いや用具の整理で汗を流し、部活動の後は友達と買い食いして帰るような、いたって平凡な生活をしてきた。
大学時代は音楽部でバンド活動に熱中し、成人してからは自営の仕事をしながら趣味の旅行で、海外を歩き回ってきた。
筋力が弱いことで、できないことはやらない、逆にマイペースでできることは行き当たりばったり何でもやってみるという生活をしてきた。

子供の頃からマイペースなので障害に対する意識が曖昧だ。
昨日まで平均的な運動能力のあった人が、ある日私のようにほとんど動けなくなったら、「今まで『健常者』だったのに『障害者』になった」という自覚があるにきまってるけど、私のような人間にはどこからが障害なんだかよくわからないのだ。
ヘルパーさんに「naridaさんは若い頃普通にいろんな事をやってきたから、そういう状態になっても前向きに生きていけるのね」なんて言われることもあるけど、『そういう状態』っていう程の自覚もないし、特に前向きとか後ろ向きとかいう自覚もないから困惑してしまう。

子供の頃は、走れない、階段を昇れないことで、人に「どうしたの?」「どこが悪いの?」と訊かれる事が多かったけど、理由を答えることができなかった。
自分にも理由が解らなかったから。
今は、「いつから障害者になったの?」「若いときは普通にスポーツやったり旅行に行ってたの?昔は『普通』だったのね?」なんて訊かれる事があるけど、やはり答えるのが難しい。
自分にもいつからが障害か解らないから。
子供の頃も『普通』ではなかったけど、不自由と言う程ではなかったし、兄も同じような体質だったからそれほど特別にも感じていなかった。
その延長でずっと来てるので、これだけ不自由になってもどこから障害だかよくわからない。
子供の頃から障害の自覚があったとも言えるし、いまだにあまり自覚がないとも言えるから、「障害」という定義自体よくわからないし、ピンと来ない。
歩行ができなくなっても不便を感じるのはたまの外出時くらいで、家では以前とそれほど変わらず過ごしてるので、
「やりたいことが出来ない」事が障害なら、今でもそれほど不自由には感じないし、
「人と一緒に同じ行動をするのに支障がある」事が障害なら、子供の頃からかなり不自由だった。

子供の頃

近くの幼稚園に通ってた頃くらいまではすべてがマイペースだったから特に問題は無かった。
遠くの小学校に入学したその日から、自分の体力の無さで困惑するようになった。
集団登校で前の子供達がおしゃべりをして遅れる。数メートル間が空いたことに気付いた前の子供達は慌てて走って間を詰める。
後ろに続いた私も走って間を詰めなければならないのだが、走れないから遅い。後ろからブーブー言われる。
すべてがそんな調子だった。
運動をいやがったりサボろうとでもしようものなら、卑怯なこと、汚いことをやろうとしているかのように扱われる。
運動の苦手な子が運動を休みたがってると、勉強の苦手な子がテストをカンニングしようとしてるような感じに見えるらしい。
徒競走やマラソンはもちろん、みんなで教室移動の時なども、並んで階段を登るのもどんどん遅れる。
体育の授業もマラソンも運動会も遠足も学芸会も卒業式も、人と一緒に行動をするのはすべて苦手だった。
中学、高校くらいになってからは学校の行事などは適当にサボってきた。
運動会も遠足も適当にズル休み。
(高校に入ってから、親友と2人で遠足をサボって海に遊びに行ったら、カゼをひいて休んでるはずの2人が真っ黒に日焼けしてて先生に怒られた事もあった)
中学2年の時には送辞を読まされたが、極端に滑舌が悪いのに人前で送辞を読むのは辛かった。
中学3年の時は答辞を断ったら、先生に居残りを命じられ、何故やりたくないのかを問いつめられた。誰かに嫌みでも言われたように思ったらしい。私はうつむいて「ただ、やりたくないから」と繰り返した。
山登りのある遠足を「体力的にムリ」と先生に断ったら、先生が突然学級会で「naridaは足が悪いがみんなで助けてやろう」という議題を始めてしまった。
先生は、私は足が悪いのに事情を説明してないと思ってたらしい。
みんなに「えー、narida、足悪かったの?」と訊かれて困った。「うん、まあ・・・」と適当に答えた。

どう考えても障害、あるいは特殊な体質、なんらかの原因があるとは思っても、特に病気や障害とは診断されず、自分でもわからないし、人に説明もできない。
なにかを手伝ってもらうほどは不自由でなく、かといって他の人達と同じペースで行動するスピードや体力は無く、人に合わせて行動しようとすると心身共に疲労困憊するという状態が長かった。
結果的に、団体行動でなく、マイペースで行動する分には特に不便は無いから、ごく親しい人以外とは一緒に行動しない。
強制的にやらされるのでない限り、登る、走るといった自分に無理のある事はやらない。
その代わり、運動や旅行や遊びなどで自分でできそうな事ならなんでもやってみる。という行動パターンが自分にとって楽で、普通になった。

現在の状態と介助していただくこと

子供の頃から自分で出来ることしかやらない習慣が長かった私は、不自由になった今でも、介助の方に何かを手伝って頂くのが非常に苦手だ。
よく、手伝って頂くことを嫌がってる、遠慮してる、と誤解されてしまう事があるが、そうではなくて、
長年の習慣で、自分でやれることに行動範囲を限定してしまうことがあたりまえになっていて、どうしても必要なこと以外、自分でやれないことはやらなくていいという行動原理が働いてしまう。
たとえば、外出が難しくなったら、外出しなくてもいいか、とか、風呂に入るのが大変なら、入らなくてもいいか、とか、つい思ってしまう。
多少なりとも自分でできることは自分でやった方が楽、というか、介助して頂いた経験が少ないので、どうやって手伝っていただけばいいのか、その距離感がつかめない。
自分でテーブルに手をついて立ったりするのはそれほど難しく無いのに、人に立たせてもらうとなると、かなりの力が必要になる。
また、立ってしまえば「立った姿勢を維持する」ことはそれほど難しくないのだが、「立ちあがること」自体が非常に難しいということをわかってもらうのが難しい。
立った状態でつたい歩きをする所など見た人には、立ち上がること自体もそれほど困難では無いように見えてしまうことがあるらしい。
「大丈夫、大丈夫」というヘルパーさんに移乗して頂こうとして、力が足りず2人一緒に倒れ込んでしまったり、看護士さん2人がかりで立たせて頂こうとしても立ち上がれず、その場に座り込んでしまって、なぜちゃんと立とうとしないのかと訝られたこともある。
看護士さんが2人で「あの人、さっきは自分で立ってたわよねえ」「私も見たわよ」とヒソヒソ相談してるのを聞くのはけっこう辛かったりする。

現在の状態は運動機能が著しく衰えている。
自力での歩行は難しい。
立ってしまえば、つかまり立ち、歩行器にしっかり掴まってごく短い距離を歩くとか、テーブルなどに寄りかかってのつたい歩きくらいは何とか出来ないこともないが、足の力での立ち座りが全くできない。
床からはもちろん、普通の高さの椅子からも、自力で立つのは難しい。
ひじかけ等があっても難しい。
前にしっかりしたテーブルがあれば、腕の力を使って、高めの安定した椅子に右手をつき、左手でテーブルを押す形で立ち上がる事は可能だ。
座った状態から膝を持ち上げる力や膝から下を前方にけり出す力はほとんどない。
背筋や腹筋が弱く、上半身がちょっとでも傾くと自分で上半身を起こすことができない。
椅子から立たせて頂くにも、体を起こして頂くにも、力のある男性などなら可能だが、年配のヘルパーさんなど、女性の力では難しいことも多い。
これから益々筋力が衰えて行くにつれ、どうやって介助して頂くかをきちんと考えていかなければならないと思っている。

(2011年追記)
上記の文章は5~6年前に書いたものですが、現在はつかまっての歩行や自力での立ち上がり、立位の保持は難しくなっています。


長年更新をサボっていましたが、先日、誤嚥性肺炎の入院記を書いて、数年ぶりの更新ついでにアクセス解析を見たら、このページに「ミオパチー」「ネマリンミオパチー」「先天性ミオパチー」などで検索して来て下さる方が多いようで驚いています。
個人的な事しか書いてないので情報不足で申し訳ないです。
他の個人サイトの皆さまの方が情報が充実してるので、そちらを訪問されることをお勧めします。

ACM(About Congenital Myopathies)

Halfway Body

しあわせの種

みおぱちっく

Adagio ミオパチー的つぶやき~Come for Treasure Dream

B型で行こう!!

narida
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当サイトの管理人。 昭和30年代生まれの高齢オタクです。 筋肉の難病で車椅子生活をしていますが 初音ミクで音楽を作ったり、コミpoでマンガを作ったり、 客船で旅行したり、サッカー観戦したりと 脳天気な生活をしています。 http://ii.la/narida/